厭離穢土欣求浄土
厭離穢土欣求浄土
おんりえどごんぐじょうど
この世をけがれた迷いの世界として厭い、心からよろこんで清らかな浄土に生れようと願い求めること。
厭穢欣浄・欣浄厭穢・厭欣ともいう。
厭離を浄土宗では「えんり」と読む。
『往生要集』に「一には厭離穢土、二には欣求浄土、三には極楽の証拠、(略)大文第一に、厭離穢土とは、それ三界は安きことなし、最も厭離すべし。
(略)大文第二に、欣求浄土とは極楽の依正の功徳、無量にして百劫・千劫にも説いて尽すことあたはず」とて、厭穢欣浄を勧め、法然の浄土教もそれにならって専ら浄土往生を勧める。
日蓮聖人遺文に厭離穢土・欣求浄土という成語はみられないが『守護国家論』の中で、法然が裟婆以外に浄土を求めることを破しておられる。
聖人が『守護国家論』と題し『立正安国論』と題された理由は、浄土宗の厭離穢土欣求浄土を破して、立正安国こそ宗教の求むべき目的であると考えられたからである。