博多日蓮聖人銅像護持教会
博多日蓮聖人銅像護持教会
はかたにちれんしょうにんどうぞうごじきょうかい
福岡県福岡市東公園にあり、日蓮聖人大銅像を奉安する。
明治二一年(一八八八)福岡県知事安場保和、同警察部長湯地丈雄らの主唱により元寇記念碑の建設が企図された。
この事を耳にした佐野前励は、早速発起者側と交渉して、聖人の肖像を記念碑中に入れる約を結び、全宗門の事業とするために管長の諭告発令を得た。
しかるに記念碑に聖人の肖像を入れる事が他宗僧俗の反対にあい、発起者側より宗祖肖像はめこみ撤回の申入れがあった。
そこで佐野前励は、宗門単独で宗祖銅像の建設を決意し、貫名日良、里見日晴、桜井仁周らと謀り、宗祖銅像建設の請願書を県庁に提出したが、内務省当局は数次にわたる請願を却下した。
佐野前励は安場県知事の紹介で内務大臣西郷従道に直談判の結果、建設の許可を取り付けた。
明治二三年一一月発会式を挙げ、この企画にはせ参じた貫名英勇、貫名円徳、林鳳宣、頂岳竜観、井筒是寛、本化日將、西村観誠、桜井日乗、志田原麗孝、大崎隆昌らは、緊密な布教陣を張って全国にとび、聖人御在世当時をしのばせる折伏を専らとする法戦を展開し、幾多勇壮な話が今に伝えられている。
明治二五年四月起工式、一〇数年の粒粒辛苦を経て、明治三七年一一月八日日蓮聖人大銅像落成除幕の大式典が挙行された。
銅像の彫刻は東京美術学校教授竹内久一に依頼し、御首両手及び巻物(立正安国論)は、東京美術学校において岡崎雪声教授の手により鋳造し、他は佐賀の谷口鉄工所で同教授監督の下に鋳造された。
御尊像の高さ一一・五五メートル、台座の高さ一一・五五メートル。
銅像鋳造の材料は、全国信徒より奉納の銅製の古鏡をもって充てられたが、当時明治天皇の御生母中山一位局より御下賜の銅鏡は宝物として、天覧の蒙古大將兜その他元寇関係の記念品と共に保存されている。
《菅上五十遠忌報恩会『菅上小伝』、山田良雄『元寇記念日蓮聖人銅像誌』、原田種夫『佐野前励上人』》
【補記】平成一六年、第一二世主管・佐野前暁のとき、日蓮聖人大銅像は建立から一〇〇年を迎え、「創立百年祭」が盛大に執り行われた。(『日蓮聖人大銅像百年の歩み』平成一六年)