釈尊降誕会
釈尊降誕会
しゃくそんごうたんえ
釈尊の生誕を祝う法会。
仏生会、灌仏会、誕生会、浴化斉、竜華会、花まつり、などともいう。
四月八日に行われるが、花御堂(はなみどう)を飾り、中に安置した誕生仏に甘茶をかけるので灌仏会(かんぶつえ)という。
仏伝によると、白象が胎内に入る夢をみて受胎したマーヤー(摩耶)夫人が、お産のため故郷のデーグダに帰る途中、ルンビニ園の沙羅の林で休んでいたとき、急に産気づいて釈尊が生れた。
このとき、竜が産湯のかわりに甘露の香水を天より降らしたという。
この伝えから、ルンビニ園の花園にちなんで花で飾った花御堂に誕生仏を安置して甘茶を注ぐのである。
誕生仏は右手で天を、左手で地を指して立っているが、これは釈尊が誕生したとき七歩あるいて「天上天下唯我独尊、三界皆苦我当救之(われは世界の第一人者である、世の苦しみを救う者である)」と唱えたということを仏像としてあらわしたものである。
降誕会というのは、釈尊が三十三天にいて、そこから人間としてこの世に生れたという前生話から、降誕という名がつけられているのである。
釈尊の誕生会が、インド、西域地方で行われていたことは『高僧法顕伝』等によっても明らかであるが、今日のように仏生会のときに灌仏したというのは明らかでない。
中国においては、劉宋大明六年(四六二)四月八日に内殿において灌仏会が行われたことが、『本化別頭仏祖統紀』第三六にあり、『勅修百丈清規』巻上報章仏降誕のところに「目に至って庫司は厳に花亭を設け、中に仏誕生像を香湯盆内に置き二の小杓を仏前に案ず(略)」と式の次第を記している。
わが国では推古天皇四年(六〇六)四月八日に諸寺に斉会を行わしめたとあるのが降誕会の初めといわれている。
『日本書紀』第二二、『扶桑略記』第四、『続日本後記』第九には、仁明天皇承和七年(八四〇)四月八日律師静安が初めて清涼殿において灌仏会を修した事を記している。
灌仏に甘茶を用いるようになったのは徳川時代以後で、それ以前は五色香水を混合したものを用いていたという。
花まつりという呼び方は、大正時代に安藤嶺丸という人が、みんなが親しみやすいようにと名付けたものである。
《『図説仏教語大辞典』「仏伝図」「仏伝図の各場面」の項》