釈尊涅槃会
釈尊涅槃会
しゃくそんねはんえ
釈尊の入滅の忌日に修する法会。
涅槃忌、常楽会、仏忌ともいう。
涅槃とは吹き消すこと、または吹き消した状態をいうニルバーナ(nirvāṇa)の訳で、煩悩の火を焼きつくして迷いのなくなった境地をさす言葉であるが、釈尊の入滅をさす言葉としても用いられる。
二月一五日を釈尊の入滅の忌日として、涅槃の模様を画いた涅槃図をかかげて供養し、釈尊を偲ぶ法会を行う。
インドのガンダーラ美術の中には、釈尊の臥像に多くの人々が礼拝している彫刻が数多く見られるが、インドでこの涅槃会が行われていたかどうかは明らかでない。
中国においては『本化別頭仏祖統紀』第三三に「如来は周の穆王の五十三年壬申二月十五日に於て入滅す、およそ伽藍に在りては必ず供を修し礼を設く、之を仏忌という」。
また『釈氏要覧』巻下には「二月十五日仏涅槃日、天下の俗侶会を営み供養す、即ち忌日の事なり」とあるから、梁陳以後行われていたようである。
わが国では、天平神護三年(七六七)頃から奈良の興福寺においては常楽会と称して涅槃会を行っていた。
『内院年中行事』には慶長三年(一五九八)二月以後宮中に於いても涅槃会を行ったことを記している。
古くから涅槃会には必ず餅を供えるが、このお餅を俗に「釈尊の鼻屎」と呼んでいる。
これは『日次紀事』二月一五日のところに、「洛内外の諸寺院涅槃図を掲げて各法事を修し、民間旧臘造る所の餅花、再び之を蒸して仏に供す。
俗に誤って釈迦の鼻糞と云うも実は花屑なり」といっている。
なお、本宗でいつ頃から涅槃会が修せられるようになったかについては明白ではないが、『身延山史』の行学院日朝時代(一四六二より三七年間)の身延山年中行事並びに久遠寺月行事輪次の二月一五日の項に「涅槃像(図)ヲ掛ケ満山出仕。
楽、乱声、讃、惣礼(略)」とある例などからみても、この頃から涅槃会、誕生会などの法会が年中法式として定着しつつあったことがうかがわれる。