邪命加持
邪命加持
じゃみょうかじ
仏教者が加持祈祷を行うのは邪命にして仏教の本意ではないということ。
とくに本宗の加持祈祷に対して、他宗外学の者からだけではなく、宗内からも、これを邪命加持であると誹謗する者があった。
この批判に対して斉藤義鑒は、『法華験家訓蒙』において、呪術を行ったり吉凶を占ったりすることを仏が禁じられたのは、自行を主とする二乗に対してであり、慈悲利他を主とする大乗の行人が加持祈祷をするのは、生活のためではなく、弘化布教の一部であると反論。
また信心堅固ならしめる方便として、水火の苦行などを修することの批判に対しても、仏が苦行を制されたのは苦行をもって直ちに因行とするのを制されたのであり、信念を助ける方便までも制されたのではないと論じている。
この苦行邪見の説に便乗し、自己の信力増進の行を修しないばかりか、人の善行をも止めさせようとする者が宗内にもいると指摘。
続いて「若し然らば今の加持祈祷を修するものは悉く皆な非理営活の者に非ざるか」と問い「答えて曰く、予は之を検する任あらざれば此問に答ふる説辞を知らず」と修法師に対し、暗に警告を発している。