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連歌

れんが #4963

連歌

れんが

 短歌の上の句と下の句とを唱和する短連歌、また五七五・七七・五七五とさらに長くつづける長連歌(鎖(くさり)連歌)は平安後期に発達し、集団文芸として中世の長い期に完成した。
本妙寺・法華経寺の蔵書を集めた『本尊聖教録』の「三十五、歌雙紙等」の中の、『名所寄合抄一帖』『歌寄合一帖』『連歌寄合一帖』『千句連歌連歌』『連歌用意抄一帖』『連歌式目一帖』などの連歌書の存在は、連歌史研究の上でも注意されている。
日蓮聖人直持本でないにしても、その直弟子・直檀あたりの所有の文献かとされている。
(今成元昭「平要所少少―日蓮の聖教録から」<『説話文学研究』第一号、昭和四三・四>)、中世の日蓮宗教団と連歌とのかかわりをみると、例えば十五世紀末京都の本能寺において、住僧日譽らを中心に連歌の催しなどがある。
木藤才蔵「連歌史年表」(『連歌史論考』下付載)で検すると、文明一五年(一四八三)三月二日、同寺での「何路百韻」があり「山かぜに花の音する匂かな (宗尹)」を発句とし、一四人が加り、延徳二年(一四九〇)閏八月、宗祇・肖柏らも交え七人が「おく山ずみの契りたがうな」以下一六の前句に付句して優劣を競った(連歌七人付句判詞)。
日顕・日泰・日増ら日のつく僧の名が年表にみえる。
慶長のころ(一五九六-一六一五)堺には日守がいて活躍している。
なお日譽や一条兼良らの百韻「賦法華要文連歌」は『法華経』譬喩品の「今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子」云々の偈文を冠字においたもので、より宗教的色彩が濃くなっている。
また連歌書『連集良材』(続々類従歌文部)には、仏典の解説などが見られるが、宗祇・肖柏らの句を引いて『法華経』を説いている。
《木藤才蔵『連歌史論考』、島津忠夫『連歌の研究』、今成元昭『平家物語流伝考』、山上ゝ泉『日本文学と法華経』》

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