負櫃供養の弁(阿仏房)
負櫃供養の弁(阿仏房)
おいびつくようのべん
繰り弁の一つ。
文永八年(一二七一)一〇月一〇日、日蓮聖人は依智(神奈川県厚木市)を出発し、二八日佐渡に着き塚原の三昧堂の荒屋に入れられた。
翌年の四月まで、氷雪に肌を交えつつも法華色読の法悦にひたっていられた。
唯阿弥・生喩房・印性房らを頭領とする多くの僧侶が集まって、聖人を殺そうと謀ったが「殺してはならぬという幕府の命令である」という佐渡の守護代本間六郎左衛門重連の言に、法論をもって日蓮を屈伏させ、島民に邪僧無智の犯僧であることを知らしめようと決議した。
これが塚原問答のことの起りであった。
このような状況であったため、いち早く聖人の教えに帰伏信順した阿仏房遠藤為盛夫妻も昼間は聖人に近づくことができなかった。
そこで日の暮れるのをまって、供養の食物を背負って三昧堂を訪れ、給仕したという伝説を「真心こめたる御飯負櫃の底におさめて、形は念仏の行者、心は法華経のお題目、日の暮れるのをまって、老人が心急ぎの早足で、目指すは塚原三昧堂」といった調子の弁で説教をした。