妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

茗谷学園

めいこくがくえん #4593

茗谷学園

めいこくがくえん

堀之内妙法寺第二九世武見日恕が財団法人日宗十万人団結報恩会として小石川茗ケ谷に明治三六年(一九〇三)九月二〇日開園、敷地三〇〇坪、寄宿舎、食堂、割烹室七〇坪、本館三〇坪。
都下各大学に通学する宗門人養成の学寮。
この学園より後に総大臣となった石橋湛山を始め一五〇余名の人々が通学、大正より昭和にかけて日蓮宗を指導した人物を輩出、のち宗門人のみならず一般信徒の子弟を教養するに足る土地を求め昭和三年(一九二八)四月豊多摩郡杉並町字高円寺中小沢の八○○坪の地に移転、しかし敗戦後設立の意義を失い時流の中に消え去ったが、その精神は堀之内妙法寺に伝統として残り、三一世堀日正の堀之内中学校、三三世小林日誓の茗谷栴檀学寮として継承された。
学園では特別義が明治三六年より行われ、日蓮宗大学本間教頭の「宗学要綱」、明治四〇年五月には本多日生の「聖語録」、明治四三年四月清水龍山の「日蓮宗綱要」はそれである。
園規の主なものをあげると、
(一)茗谷学園日蓮宗門下の法器たらむとする目的を以て世諸学校に通学する者のための寄宿舎である。
(二)本学園の生活は元来自治を本義とし、各自の自律的精神に信頼するも年来涵養し来った園の美風と綱領とは是を尊重し且つ服膺するを要求する。

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