妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

武見日恕

たけみにちじょ #3683

武見日恕

たけみにちじょ

(一八五三-一九一七)
字は潮郁、深厚院と号す。
嘉永六年一〇月二日新潟県関原町の武見弥八の四男として生る。
文久三年(一八六三)八月同県和嶋村治暦寺日洽の門に投じ一四歳で剃
明治元年(一八六八)一六歳で飯高檀林に学び、同三年千葉県八日市場市(現・匝瑳市)内山妙広寺にて吉川日鑑に師事しその薫陶をうけ、同七年日鑑に従って身延山に登る。島田篁村の塾に学ぶこと三年、帰って中教院に入学、助教より教師を務め、身延山執事となり、身延七四世となった日鑑によく仕えた。
明治一〇年には山梨県富士川町宝林寺住職となり、同一九年、日鑑没後の後を受けて身延町清兮寺を兼務し、第二世となってこれを完成した。
同年六月新居日薩の強い薦めにより東京堀之内妙法寺二九世に晋み、兼ねて第一区大檀支林堀之内檀林林長となった。
同三五年八月には小石川に茗谷学園を設けて在京宗門子弟の教育に尽力し、同三九年四月日宗十万人団結報恩会を設立して弘に努めた。
また同年第三宗会甲部議員、及び身延山門末総会議長に選ばれ、同四四年にも第五宗会甲部議員になっている。
大正二年(一九一三)郷里関原町に両親追善のため真浄寺を創立し、同五年には千葉県勝浦市興津妙覚寺へ瑞世した。
翌六年七月三日寂、六五歳。
権大僧正。

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