祖師伝
祖師伝
そしでん
一巻。
広蔵日辰(一五〇八-七六)著。
永禄二年(一五五九)二月から翌三年一一月にかけて執筆されたもので、正本は京都要法寺に蔵し、本満寺刊『日蓮聖人伝記集』に正本の写真版が収録されている。
本書は『祖師伝』と表題されているが、尊門初期および要法寺初期の先師の伝である。
全体の構成は、(1)大聖人御一期在生次第、(2)駿州富士山重須本門寺釈日興伝、(3)駿州富士山大石寺釈日目伝、(4)駿州富士西山本門寺釈日代伝、(5)日尊伝、(6)日印伝、(7)日大伝、(8)東山高祖石塔之事、東山日興石塔之事、日尊石塔之事、千本石塔之事、(9)釈日辰伝等の九項から成っている。第八項の末尾に「祖師伝 終」と記しているから、(9)の自伝は付録として記したものであろう。
この九項の流れからすると、日辰の本書執筆の意図は、日蓮聖人から日尊門流は嫡々と法義を受継いできたとするその正統性を示さんとしたことが窺える。
日辰はこの伝の書き始めから終りまでに一年一〇ヵ月をかけているが、実質は五ヵ月程度で完成している。
この頃の日辰の行動は、興門内で対立分裂していた富士諸山を調停統一せんとして、まず大石寺・西山・北山の両本門寺を調停せんとしていた時期である。
この時、西山本門寺を中心に行動をとり、諸山に赴いては諸先師の著述、文書等を書写している。
本書の内容がほとんど先師の著述の引用によっているところから、これを基にして執筆されたものと考えられる。
また逆に、このことは当時の文献を知るよき資料となりうる。
(1)の聖人伝の末尾に「重須において之を移す」とあるから、この西山滞在中の執筆であることがわかる。
日辰以前に日道の『御伝土代』があるが、若干その趣きを異にしている。
(2)と(3)の初めの部分を執筆した後、永禄二年五月上洛し、翌年七月まで『開迹顕本法華二論得意抄』の執筆のため中断している。
(3)の日目伝の後半は、永禄三年七月一七日要法寺において書写す、と明記しているから、七月から再び本書の執筆にとりかかり、一一月七日に完了した。
本書の写本は要法寺一八世日陽、二二世日祐、また信敬院日護の写本があり、いずれも要法寺に蔵している。
日護本には三二世日立の弟子恵妙坊行存の持参本によって書写とあるから、他にもいくつかの写本があったと考えられる。
本書は興門の歴史研究に多大の影響を与えたものと思われ、大石寺の一八世了玄日精の『富士門家中見聞抄』には、日尊・日印・日大の伝について『祖師伝』をそのまま依用している。