正中山荒行堂
正中山荒行堂
しょうちゅうざんあらぎょうどう
千葉県市川市、正中山内にある日蓮宗制定の荒行堂のことをいう。
正中山荒行堂は開祖、富木日常(一二一六-九九)に始まり、長年月を経過し、時の正中山法華経寺貫首が伝主となり、正伝師により、時には副伝師職をそれぞれにおいて行場を変え身延・中山、両荒行堂の勢力を競わせた時代もある。
遠寿院荒行堂も円立坊を、遠寿院日久滅後、遠寿院と改め祈祷相承の根本道場として発足、爾来幾多の荒行僧を輩出し、祈祷の霊現を国内に現していた。
明治九年(一八七六)新居日薩、法華経寺貫首河田日因により集約され、修行法が日蓮宗宗務院で規定されたのである。
明治三七-八年頃内容も現在の修行法に改正され、毎年一一月一日より翌年二月一〇日と規制、昭和二一年まで遠寿院で荒行堂が開催されていた。
「一応、正中山荒行堂とは読んで字の如し、二応、但し、其人、其所、其時とによって同義異名の事もある可し」といわれるが、昭和二一年(一九四六)三月二〇日、遠寿院が日蓮宗より離脱し妙宗となったため、荒行堂が身延山に移転開設された。
再び遠寿院が日蓮宗に合同復帰し、昭和三五年度から荒行堂は遠寿院においても開設した。
そこで日蓮宗所定の荒行堂を遠寿院内と身延山内に両立、昭和四八年度まで開設されていた。
昭和四八年三月妙宗が日蓮宗に復帰合同されるや、荒行堂の一本化が促進、昭和四九年度より、現在の法華経寺内に制定され、正中山法華経寺貫首が伝主となり、加行、修行が行われている。
現在荒行堂の諸設備も歳月を経て、漸次完成に近づきつつある。