板曼荼羅本尊
板曼荼羅本尊
いたまんだらほんぞん
大曼荼羅本尊を板に彫刻したものをいう。
創価学会進出後、日蓮正宗大石寺に所蔵する、国立戒壇建立の際のために予定されていると伝え、いわゆる一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ)の本尊とよばれる楠の板本尊がよく知られているが、大石寺の所伝にもかかわらず、室町時代に多くの板曼荼羅本尊が造立(ぞうりゆう)されているのである。
今日、日蓮聖人御直筆の大曼荼羅本尊は一三〇幅以上格護されているが、聖人滅後、その損傷を避け、また伝法のために、門弟はそれを書写して奉安したものと考えられる。
定められた日に行われる講会(こうえ)の儀礼の際、そのたびごとに法華堂・持仏堂の中央に奉安したと考えられるが、やがて常に奉安しておく必要に迫られ、紙本に図顕されたものを板に彫刻して安置するに至ったものと考えられている。つまり教団草創期の本尊奉安が、教団の展開に伴って堂宇の規模が宏大になるにつれて、大曼荼羅本尊の木像造立化が進められると共に、他方では板本尊の造立が進められたものと考えられている。
また中山門流等に見られるように、その下部に信仰的結合のあかしとして、一結衆(いつけつしゆう)の交名(きようみよう)を彫刻したものが見られる。
このような教団史の事実を直視した上で、大石寺所蔵の板曼荼羅の写真を見ると、その筆跡が聖人のものと見ることができないこと、その脇書(わきがき)についても同様なことが推測できるところから、おそらく楠板本尊は室町期に成立したものと考えられている。
なお周知の通り、このような疑問に対して、大石寺は楠板本尊を公開せず、その写真も秘蔵するばかりであることを付け加えておく。
《中尾堯『日親』、渡辺宝陽「大曼荼羅と法華堂」(『研究年報 日蓮とその教団』第一集)、阪田正一「日蓮宗中山門流の板曼荼羅と題目板碑」(『立正史学』九一号》