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本因坊(本行院日海)

ほんいんぼう #3353

本因坊(本行院日海)

ほんいんぼう

(一五五八-一六二三) 号を本行院日海という。
伝えには加納氏の出で永禄元年五月京都長者町に生まれ、幼名を与三郎という。
八歳の本山妙満寺二六世、京都寂光寺開山、久遠院日淵に師し、寂光寺の塔頭本因に住した。
そのため本因と呼ばれる。
のち寂光寺第二世の法灯を継いだ人である。
また碁を仙也に学び、一八-九歳の頃には内に敵なしとまでいわれるまでになった。
その頃近畿地方に威勢を張っていた織田信長は碁が好きで入京して日海の名を聞き、召して日海対して五目を置いたが勝つことができず、入神巧妙にして、人称嘆して名人と呼んだ。
これが碁道における名人の起源であると伝えている。
日海は秀吉、康にも碁道において推重され、康から慶長一七年(一六一二)法に叙せられた。
また加賀藩主、前田利常の招きに応じて、食客となり、元和三年(一六一七)老本多安房守の領地内に寺領三〇〇〇歩を得て、本行寺(金沢市本多町)を建立し、初代住職となり後を弟子本照して京都に帰山。
元和九年五月一六日、六六歳をもって入寂した。
算砂(算沙)日海は、碁・将棋を遊戯であるとはみず、それは法華経の極意を得、至妙の境界に至る最の法であるとし、碁・将棋の教訓の和歌数十種を門下のために遺している。
《宮崎英修「碁の本本因」「碁・将棋の宗家」『日蓮宗の人びと』、『日本仏教人名辞典』「本因坊算沙(ほんいんぼうさんさ)」の項、『史大辞典』一二巻「本因」の項》

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