妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日祐(知福院)

にちゆう #2861

日祐(知福院)

にちゆう

(一二七一-一三六四)
玉沢妙法華寺第三世
その伝記は『本化別頭仏祖統紀』巻九と妙法華寺の寺伝たる『玉沢手鑑草稿』とに記載されているが、両者の要を採って述べると、字は智祐、知福院(智福院)と号す。大貳阿闍梨と呼ばれるも、何処の人か未詳。
師は初め比叡山無動寺尊海の弟子にして、日昭が京都で尊海に会った折に譲られ、日昭の弟子となり、日祐と改名した。
文保元年(一三一七)日昭は名瀬の妙法寺に移るが、その、妙法華寺を日祐に譲った。
のち日祐は静岡県田方郡(現・伊豆市)に妙本寺を開き、ここに隠居し、貞治元年(一三六二)に没したという。
『手鑑』によれば日祐は侍従公と呼ばれ、智福院と号し、父は下総猿島郡(さしまぐん)の領主、東三郎兵衛尉祐信、母は何氏かは不明であるが日蓮聖人御書に挙げられる棧敷の女房である。
文永八年(一二八一)夏に生れ、幼名は智満磨といい、出家して聖人の弟子となる。
一三歳の折、聖人の御入滅にあい、御送葬式には御棺先達八人の中に加わり、また御遺物の配分にも預り、今玉沢に残っている青指一貫文がそれの一部分であるという。
妙法華寺の貫首として在職四〇年、延文三年(一三五八)、前記の妙本寺に退き、貞治三年、九四歳にて入滅したという。
《『日本仏人名辞典』「日祐」の項》

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