上総十箇寺
上総十箇寺
かずさじっかじ
江戸時代より上総(千葉県)の日什門流(顕本法華宗)において特に称される有名寺院。
即ち本納蓮福寺(天正七年=一五七九=創立、開山日遊、御朱印三四石)、大網蓮照寺(明応三年=一四九四=創立、開山日誓、御朱印一〇石)、宮谷本国寺(文明三年=一四七一=創立。
開山日泰、日肝、御朱印一〇石)、田中法光寺(長享二年=一四八八=創立、開山日行、御朱印一八石)、土気善勝寺(文明二年創立、開山日道、御朱印五〇石)、同本寿寺(長享二年創立、開山日泰、御朱印三五石)、東金西福寺(文明一一年創立、開山日近、御朱印三〇石)、同本漸寺(大永元年=一五二一=創立、開山日親、御朱印三〇石)、松之郷本松寺(明応元年創立、開山日哲、御朱印一一石)、北之幸谷妙徳寺(永正五年=一五〇八=創立、開山日秀、御朱印一五石八斗)等の一〇ヵ寺をいう。
中本寺触頭の格式で、別名「東十箇寺」、一般には「泣子(十箇寺の御前様が来ると言うと泣いていた子供も黙ったところから)の十箇寺」として、檀信徒の間に権威があった。
元和八年(一六二二)、本国寺七世日精時代の学室が、同一〇世日純の代に宮谷檀林として公許となった。
旧記に「上総十箇寺ハ御朱印地ニ御座候、門中諸末寺之支配仕ル惣録寺ニシテ、妙満寺、妙法寺、玄妙寺住職迄評議致シ、相定メ申ス門徒ノ掟也」とあって、檀林の「伴頭寺」として重視され、本山妙満寺晋山の進退をきめる「評議寺」として、輪番制度の確立と共に上総七里法華の重鎮寺院として周知されるに至った。
《宮崎英修『不受不施派の源流と展開』、影山堯雄『日蓮教団史概説』、山根日東『妙満寺概観』、『什門本末帳』(寛政・宝暦本。
明治六年)》