宮谷檀林
宮谷檀林
みやざくだんりん
勝劣派の学問所。
千葉県山武市大網白里市宮谷の法流山本国寺にあった檀林。
本国寺は空海(七七四-八三五)が東国巡教のとき開創した真言宗阿蘭若興善寺と称していたが、文明三年(一四七一)五月、権大僧都日肝(本国寺開基)の教化により改宗し、塔頭一二坊を有する法華信仰の中心道場となった。
一〇世仏眼日純(京都妙満寺三〇世、吉美妙立寺一〇世)は、元和八年(一六二二)五月閣老久世広宣の手によって徳川秀忠に謁し、本国寺に勝劣派の檀林を開くことを認可された。
日純の後、自然日信、静明日柔(陣門流)、本通日遠、日盈(石門流)、養徳日乗、啓運日要、唯心日俊(陣門流)、精進日英らが歴住し、什門流の学徒のみならず、石門流、陣門流等、広く勝劣各派から学び来る者八○○を超え、幾多の明匠学徳を輩出した。
歴住能化更代は二五〇世に及ぶ。
なかで養徳日乗、啓運日要は学名が高い。
日乗は儒者林羅山とも親交があり、台当両家の学匠として教界に盛徳があった。
著述は一四種四三巻をかぞえる。
宮谷檀林は大講堂を中心に東西南北に四谷を分ち、西谷には本堂、祖師堂、開山堂、大講堂、経蔵、宝蔵、鐘楼堂、書院、方丈、庫裡、名目講場、観部講場があり、東谷には文句講場、条箇講場、伴頭寮、南谷には玄義講場、北には学寮四〇余があった。
明治に至り一時閉鎖したが、同二五年(一八九二)に宮谷大学林となり、同三三年七月に至るまで学徒が雲集し什門の学府として存在していた。