日保(郷公・帥法眼)
日保(郷公・帥法眼)
にほ
(一二五八-一三四〇) 郷公、後に法眼と呼ばれ、南総興津妙覚寺第二世。
房州小湊誕生寺第二世日家の俗姪にあたる。
日保は、正嘉二年戊午七月朔日、房州夷隅郡(現・勝浦市)興津郷に佐久間十郎左衛門重貞の一子として生まれ、幼名を長寿麻呂といった。
父の重貞は信仰心の深い人で、敷地内に釈迦堂を建立して香華を供したという。
文永元年(一二六四)日蓮聖人が亡き慈父の墓参と師の道善房の訪問のため、故郷の房州小湊を訪れた際、重貞は聖人の説法に深く感銘を受けてただちに改宗するに至った。
その時に子供の長寿麻呂を得度させ、聖人より日保の号を賜わったのである。
重貞の末の弟である童子竹寿麻呂(長寿麻呂の叔父)はこれを見て感激し、時を同じくして得度して、日蓮聖人より日家の号を賜わった。
日保、日家共に七歳の時であったと伝えられる。
この時、聖人は釈迦堂で一〇日間の説法を行い、釈迦堂は広栄山妙覚寺と改められた。
日保、日家の両名は、この妙覚寺で修学にはげみ住持を努めた。
また両名相談して日蓮聖人誕生の地である房州小湊の浜に塔を建てて供養し、房州高光山誕生寺の寺基となした。
妙覚寺、誕生寺両山は共に年を追って発展し、誕生寺の一宇には聖人の慈父母の塚を造って供養し、後の妙蓮寺の寺基となした。
妙覚寺、誕生寺両山とも事実上の開山祖は、日家、日保両名であるが、聖人を敬って両山の開山に奉り、妙覚寺においては、日保を二世、日家を三世、誕生寺においては、日家を二世、日保を三世と称している。
この事が、小湊興津両寺一根と呼ばれるゆえんである。
日保は暦応三年庚辰四月一二日、八三歳で没したが日保、日家両名共、房総における宗門の展開史上に不可欠の人物である。
房州法蓮寺開山日澄、滑川大聖寺開山日明、妙覚寺第五世日恵、誕生寺第四世日静、同五世日承はみな、日家の兄弟、日保の俗叔にあたる。
《『日本仏教人名辞典』「日保」の項》