寺泊御書(九二)
寺泊御書(九二)
てらどまりごしょ
日蓮聖人著。
真蹟九紙完。
中山法華経寺蔵(重要文化財)。
文永八年(一二七一)一〇月二二日系年。
聖寿五〇歳。
著作地越後寺泊。
対告者富木氏。
述作の地に因んで、『寺泊御書』『自寺泊御状』とも称され、対告者から『与富木氏書』、その内容から『贖命重宝鈔』ともいう。
『昭和定本日蓮聖人遺文』所収。
聖人は、文永八年九月、鎌倉幕府の勘気を受け佐渡へ流罪の身となった。一〇月一〇日相模依智を発ち、同月二一日に寺泊に着き、ここで渡島の順風を待つ間に著したのが本書である。聖人は、富木氏が供奉させた入道を鎌倉に帰すにあたり、本書をことづけたのである。
冒頭に相州依智から越後国寺泊津に至る旅の様子を述べ、如来滅後における法華経弘通の難を論じて、現身に受けつつある大難の意味を説き明かす。
即ち度重なる受難こそ法華経と自己との符合を意味するもので「日蓮は八十万億那由他の諸の菩薩の代官」として法華経弘通に身命を捧げているとし、法華経の行者としての自覚の高揚を示されている。
これは翌文永九年二月述作の『開目抄』の伏線となるもので、佐前最後の遺文であると共に、佐渡期の聖人教学へ至る橋渡しとして重要な意味を持つものである。
なお『縮刷遺文』には、冒頭に「鵞目一結給候畢。心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし」の文が付加されているが、真蹟にこの文は見られない。
《『遺文辞典』歴史篇「寺泊御書」の項、『日蓮辞典』「寺泊御書」の項》