妙宣寺(新潟県佐渡市)
妙宣寺(新潟県佐渡市)
みょうせんじ
日蓮宗由緒寺院の一つ。
新潟県佐渡市に所在。
蓮華王山と号す。
弘安二年(一二七九)頃佐州豊後房日満によって造立。
開山は阿仏房日得、日満自らは第二世を称した。
阿仏房日得は佐州(新潟県佐渡市)の人で俗名を遠藤左衛門尉為盛といい、念仏を唱えて、自らは阿仏房を称していた。
古学を好んで和漢の学に通じ、歌道の達人であったと伝えられる。
文永八年(一二七一)日蓮聖人は竜口法難の後、遠流によって佐渡塚原三昧堂に謫居され、この塚原で阿仏房は聖人の教化を受けて改宗した。
改宗後の阿仏房は不惜身命の援助を聖人に送り、翌文永九年石田郷一谷村に移される聖人と行動を共にし、阿仏房一族の移住によって同地に阿仏村を形成した。
阿仏房の子を藤九郎盛綱という。
聖人は文永一一年赦されて鎌倉へ還り後に身延へ移られたが、阿仏房は高齢を押して佐渡より前後三回にわたって身延の聖人を訪ねた。
弘安元年阿仏房九〇歳の時、聖人のもとで得度して阿仏房日得の号を賜ったが、翌弘安二年三月佐渡で没した。
この年七月、藤九郎盛綱は阿仏房の遺骨を身延に納めたが、翌三年七月にも身延に詣でている。
藤九郎の孫を如寂房日満といい、日興の弟子となって、邸を寺に改めた。
これが佐州雑太郡阿仏村蓮華王山妙宣寺である。
日満は阿仏房の曽孫に当るので「彦日満」と呼ばれ、日興門下の新六人と肩を並べる竜象であり日興は日満をもって北陸道七州の導師となしている。
『本化別頭仏祖統紀』は日満を康永二年(一三四三)の寂とするが、これより一五年後の延文二年(一三五七)一二月認めの日満の本尊が妙宣寺に現存しているから、『本化別頭仏祖統紀』の説は誤りとすべきである。
妙宣寺過去帳には延文五年三月二一日化、五四歳あるいは八九歳ともいう。
《『日蓮聖人事蹟事典』(雄山閣)「新潟」の項》