多宝寺(廃寺・相模国鎌倉郡)
多宝寺(廃寺・相模国鎌倉郡)
たほうじ
もと相模国鎌倉郡(現、神奈川県鎌倉市)にあった。
弘長二年(一二六二)春、北条業時が律宗の良観房忍性を請じて建立する。
日蓮聖人は『行敏訴状御会通』に、聖人と対決する鎌倉諸大寺中の一寺として多宝寺の名をあげ、これらの寺々は「妙楽大師の指す所の第三最も甚しき悪所也」(定四九九頁)とされている。
多宝寺が大寺であったことは文永八年六月の良観忍性との祈雨合戦時、劣勢の忍性は自身の支配下にあった多宝寺から「多宝寺の弟子等数百人呼び集め」「『頼基陳状』定一三五四頁)とあることからも知りえよう。
また、「去年方々に申して候」(『金吾殿御返事』定四五八頁)という文永五年のいわゆる「十一通御書」中の対象寺に多宝寺が含まれている。
翌文永六年の「今年十一月の比、方々へ申して候へば」(同上)とある強言行動にも多宝寺が含まれていたこととおもわれる。
《『遺文辞典』歴史篇「多宝寺」の項、貫達人・川副武胤『鎌倉廃寺事典』》