名体不二
名体不二
みょうたいふに
ものの名称(名字)とその体(実体・本体)が同一であること。
「名詮自性」といわれるように、名はその体を表す。
妙法蓮華経の題目は一部八巻二十八品の心を表詮するものである。
日蓮聖人は『法華題目鈔』に問答を通して唱題の意義を説き「法華経の題目は八万聖教の肝心一切諸仏の眼目」であるとして、これを「法華経の不思議」と表現されている。
また『四信五品鈔』には日本の二字に六六国の人畜財を摂尽するとし、妙楽大師の「略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む」(法華文句記第八)「略して界如を挙ぐるに具さに三千を摂す」(法華玄義釈籤第一)の文を引いて援証されている。
法華経安楽行品には「是の法華経は無量の国の中に於て、乃至名字をも聞くことを得べからず。何に況んや見ることを得、護持し読誦せんをや」と、法華経の名字すら聞くことは難しいと説かれている。
末代の衆生は釈尊の大慈悲をこうむって、唱え難き題目を授与されたのである。
題目は久遠釈尊の全体にほかならないゆえに、我らの題目受持によって、釈尊の本因本果が自然に譲与される。
《『遺文辞典』教学篇「名体」「名詮自性(みょうせんじしょう)」の項》