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其角

きかく #772

其角

きかく

俳人で初めは榎本氏、後に宝井氏に変る。
侃憲・八十八・平助・源蔵・源助などと称した。
別号を螺舎・狂雷堂・蔵六庵・晋子等とも称し、寛文元年(一六六一)七月江戸堀江町に生る。
延宝の初期に芭蕉の門に入り、蕉門の中でも特に秀れた作となって『虚栗』や『萩の露』『枯尾花』等を編んだ。
編著は二〇数種に及び、洒落な作風は其角に始まるともいわれている。
許六は「晋子の風は伊達を好んで細し、この細き所師の流なり」と評している。
其角はまた法華経についても通じ、元禄三年(一六九〇)に撰した『俳番匠』には、方便品十如是其角去来・素堂ら六名の作を集め歌い上げている。
また深草の元政を忍び、杖を引いたことや、六六部の法華経納経をした僧の話などが『類柑子』の中で紹介されている。
更に彼は蕉門の中でも達筆で知られているが「従横趺宕にして、覆気筆に溢る」と評され、初めは佐玄竜に従い、中頃は米元章を学び、最後は日蓮聖人の筆を摸したと伝えられている。
師の芭蕉聖人御書にもよく目を通していたことから、弟子の其角もその影響を受け、聖人の筆勢にひかれて学ぶことになったのも当然といえよう。
「妙なりや法の蓮(はちす)の華経(はないかだ)」と法華経を詠っている。
宝永三年(一七〇六)に四七歳で没したとされ、芝二本榎の上行寺に葬られた。
宮崎英修「宝井其角」『日蓮宗の人びと』、上田本昌「俳諧文学と法華信仰」『棲神』三八・三九号》

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