闡提成仏
闡提成仏
せんだいじょうぶつ
断善根といわれた一闡提も成仏する可能性があるという意味。
大乗の『涅槃経』の前半では、もっぱら一闡提は断善根のもので信を具足しない最下根のものとして排除された。
しかし大乗の『涅槃経』の主張する根本理念は、あくまで「一切衆生悉有仏性」である故、一闡提といえども救治しなければならない。
経(巻二十)には「闡提の輩、分別して二有り。一者は現在に善根を得、二者は後世に善根を得」と説いて、時間上の解決を示している。
次に梵行品第二十では一闡提に関して「最極悪のものを一闡提と名づける。菩薩は、大慈を修するとき、一闡提において心に差別なし。そのあやまちをとがめない故に、怒りを起さず」と語り、光明遍照高貴徳王菩薩品第二十二には「一闡提は亦決定的のものではない。もし決定的なものならば、是の一闡提は、終に無上のさとりを得ることはできない。しかし不決定のもの故に、さとりを得ることができる」として、成仏の可能性を示し、更に「一切衆生は、みな仏性あり、仏性をもっての故に、一闡提も、その心を捨離するならば、ことごとく無上のさとりを成就することができる」と主張し、迦葉品第二十四に至って「一切衆生悉く仏性あり。一闡提乃至誹謗正法の人、五逆罪の人、重悪を犯すもの、必ず菩提の道を成ずることを得べし」と宣言している。
日蓮聖人は「法華経は一闡提を仏となし給ふ」(『上野殿御返事』定一六五三頁)というように法華経の救済力の絶大による「闡提成仏」を説く。
《『遺文辞典』教学篇「一闡提(いっせんだい)」の項》