鎌倉殿中問答
鎌倉殿中問答
かまくらでんちゅうもんどう
執経北条高時の時代、鎌倉の殿中において対論をしたもので、文保二年(一三一八)一二月二〇日、元応元年(一三一九)九月四日、同九月一五日の三回に渉り十宗房と伊羅護律師を対手として日印が行った問答をいう。
この法論に最初日朗が当たる予定であったが、日朗は既に七六歳の高齢のためその任を日印に委ねた。
日印はその命を受けて法論の場に臨み対応する。
問答の大要は権実問答で、(1)四宗堕獄の理由、(2)法華経の弥陀、(3)余深法中の解、(4)涅槃正見、法華邪見の会通などであり、『日蓮宗学説史』に要約されている。
この法論の内容は『鎌倉殿中問答記録』として、日静の筆によって記録されたとして現在に伝えられており、写本が現存している。
しかし、この殿中問答については『統記』には「日静の筆に非ず、旦文保二年昭尊は在世なり、常に宗論を期す。
朗尊も亦是時七六歳、老たりと雖も意気健剛なり。
宗門の大事何ぞ門人に譲る乎」とあるが、『日蓮宗学説史』には「問答の幼稚なる点等は反てその事実を信ずべき理由とも見らる」としており、更に日朗の『与肥後殿書』に「関東宗論可有之由普聞仕候」もその理由としている。
『教全』所載。
《望月歓厚『日蓮宗学説史』、『別頭統紀』、執行海秀『日蓮宗教学史』、『龍華秘書』》