妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

鍋冠日親上人の弁

なべかむりにっしんしょうにんのべん #5054

鍋冠日親上人の弁

なべかむりにっしんしょうにんのべん

繰り弁の一つ。
日親は、上総(千葉県)埴谷の人、千葉氏の一族埴谷左近将監重継の子、応永一四年(一四〇七)の生れである。
兄と共に妙宣寺日英の門に入り、のち中山の日邏、日薩に師した。
飽くことなく勉学に努め、行学成弁をうたわれ、応永三二年(一四二五)、一九歳にして九州総導師職に選ばれて鎮西(九州)に赴き松尾山勝寺に住した。
もなく京都にのぼって、一条戻橋のたもとに立って折伏説法をした。
永享一二年(一四四〇)五月六日鹿苑院殿義満の三十三回忌を期し『立正治国論』一巻を作って、将軍義教を諫暁しようとした。
未だ清書の出来上らぬ二月六日、義は日親を捕え投獄した。
日親の入れられた牢は四畳敷高さ四尺五寸だったといわれる。
牢にあること一年半、その言語に絶する責苦をうけたが、なかでも灼熱の鍋を頭上に冠せられた。
世人これを聞いて鍋かむり日親と呼んで喧伝し、後世までの通名となった。
それを信者信仰的情緒に訴えて、特有の弁に仕立てて高座から話したのである。

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