妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

要法寺(京都府京都市)

ようぼうじ #4715

要法寺(京都府京都市)

ようぼうじ

日蓮本宗の大本山。
京都市左京区に所在。
多宝富士山と号す。
富士門流久成日尊(一二六五-一三四五)の開創、日尊は一九歳の時、日目によって改衣し日興に直参、奥州(青森県)、出雲(島根県)に教線を張り、日目の遺告により上洛、暦応二年(一三三九)に六角油小路に上行院を創し、その資日(尹)これを受け、同門日大も洛中に別に上行院を建てる。
後に二条堀河に移って住本寺と称し、両寺拮抗す。
その後文法乱に遭って両寺共焼失したが、その再建に当って広蔵日辰(一五〇八-七六)により文一七年(一五四八)両寺を合併し要法寺と改称す。
日辰は要法寺の興隆と宗団の団結、人材の養成と宗学の研鑽にはげみ、数多くの著があると伝えられる。
その後、要法寺は富士門流の中で栄え、江戸末期に至る間、日賙、日性、日舒、日悦、日住、日志など多くの英才を排出して、寺門は繁栄し、大石寺主一五世日昌より二三世日啓に至る九世一一〇余年間は要法寺系によって継承された。
明治三二年(一八九九)大石寺一派を除き、要法寺が中心となって門流を糾合し本門宗を唱え、昭和一六年(一九四一)政府の宗教統制により妙満寺の顕本法華宗と共に日蓮宗に合同、戦後離脱し日蓮本宗の認承を受け末寺八○を擁し現在に至る。
《『日蓮辞典』「要法寺」の項、『国史大辞典』一四巻「要法寺(京都)」の項》

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