行敏訴状御会通(八四)
行敏訴状御会通(八四)
ぎょうびんどのごへんじ
文永八年(一二七一)真蹟身延山曽存。(別名『良観念阿等訴状御返礼』)。
行敏は浄光明寺の浄土僧。行敏の名をもって、良観房忍性、然阿良忠、道阿道教らと共に日蓮聖人を幕府に訴えた。文永八年六月に行われた良観の祈雨の勝負の敗北を機に、「日蓮やその弟子たちは、本尊である阿弥陀仏を燃やしたり水に流したりした、あなた方の憎むべき敵である。早く日蓮の首を切れ、所領から追放せよ」と勧めたために、日蓮は傷を受け、弟子・檀越の中で殺害されたものは数百人に及んでいる。これはすべて良観・念阿弥陀仏・道阿弥陀仏等の大妄語より起こったものであると指摘する。
こうして同年の九月十日には、日蓮聖人は評定所に召喚され平左衛門の尉頼綱の尋問を受ける、日蓮を迫害するならば、定めて仏天の罰ににより、自界叛逆。他国侵逼の二難が起こり、後悔すると諌暁し、やがて九月十二日の松葉ケ谷法難、竜の口の法難、佐渡流罪へと繋がっていく。