聖誕六百五十年
聖誕六百五十年
せいたんろっぴゃくごじゅうねん
日蓮聖人が誕生した貞応元年(一二二二)より数えて六五〇年目の明治四年(一八七一)二月一六日に修された日蓮聖人降誕会ならびに慶讃行事・事業のこと。
聖誕六五〇年は神仏混淆の禁止・排仏毀釈の嵐が吹き荒れる中に迎え、日蓮宗は三十番神の祭祀、曼荼羅中の天照・八幡両神勧請に関する禁止命令について苦慮を重ねる一方、明治新政府の神道国教政策に順応しながら僧徒一般の幣風を改め学問修行の奨励をめざし、河田日因・瑞雲日欽・新居日薩らは諸宗同徳会盟に参加して宗門内部の体質改善、国策順応による宗団護持に全力を傾注した。
聖誕六五〇年に当る明治四年二月一六日に、新居日薩が師の優陀那日輝の十三回忌を二二日まで修しているのも、日輝の教学と指導内容を継承し「日蓮宗」公称にむけて宗団を再建していくことが聖誕六五〇年を迎えた時の当面する課題であったと考えられる。
ただし聖誕六五〇年の気運の高まりの中で、河竹黙阿弥作の「花栬高祖御伝記」が中村座にて演ぜられ、更に小川泰堂の『日蓮大士真実伝』が公刊されるなど、日蓮聖人の一生が大衆的に普及された点は注目される所である。