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理観

りかん #4126

理観

りかん

(1)『總在一念鈔』(定八〇-八二頁)に説かれる理観とは、唯識観を事観とするに対して、実相観を理観とする。
六祖湛然の『止観義例』の説に依るもので、唯識観とは心起の万法の事々について一々観察する観法をいい、実相観とは専ら法性を観ずる円観をいう。
(2)『摩訶止観』第七正修章の十境十乗観法は意業において観念観法を修するに対して、第一大意章の四種三昧は意の止観に身の開遮・口の説黙という有相行を加えるから、四種三昧に対して十境十乗観法を理観と称することができるが、日蓮宗門にては日蓮聖人の末代の観心たる唱題に対して、天台大師の十境十乗観法を理観と称する。天台大師の止観が無相行(理観)であるのに対して、日蓮聖人の唱題は有相行(事行)である。
理観とは理の一念三千観と同義であり、日常生起する六識陰妄の己心を観じて、不可見の理性の段階において三千世間の具足を説くものであり、また無相の心を能観・所観とする意業だから理観という。
《『遺文辞典』教学篇「理観」の項》

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