狩野派
狩野派
かのうは
室町時代中期の狩野正信に始まる日本画の一流派。
室町時代から江戸時代にかけて日本絵画に大きな足跡を残した。
狩野派の画風は一口にいえば漢画(宋元画あるいは唐画ともよばれる)に基礎を置きつつそれに大和絵的な解釈をほどこしたものといえよう。
正信を始め元信、永徳、探幽ら、すぐれた画人を生むと共に、皇室や室町、江戸の幕府などの権威と結んで大きな影響力を有した。
狩野派の諸絵師の多くは日蓮宗の檀徒であった。
狩野は中橋、鍛治橋、木挽町、浜町、駿河台の五家を中心として栄えたが、そのうち駿河台家をのぞく四家は、日蓮宗系寺院に墓所がある。
例えば宗家の中橋狩野家は、初祖正信から永徳までが京都市妙覚寺、六代光信が桑名市寿量寺に葬られ、七代以後一五代立信まで、他寺からの改葬も含めて、東京都池上本門寺南之院を廟所としている。
いずれも日蓮宗の寺院である。
山楽以降の京狩野と駿河台家を別として、ほかにも京都市妙蓮寺、東京都信行寺、東京都法恩寺の檀徒である狩野派の絵師がみられる。
従って狩野派諸絵師の絵が宗門に所蔵されることは少なくない。
とくに江戸狩野の代表的な存在である探幽の作を宗門寺院に何点かみることができる。
なお宗門の篤信者として、京都の狩野叡昌一族の名が『本化別頭仏祖統紀』などに出る。
彼らと絵家の狩野家との関係については、一応別流とすべきかと思われるが、なお考究の余地はあろう。
《宮崎英修「狩野派とその信仰」『日蓮宗の人びと』、同「狩野永徳」「狩野探幽」『続・日蓮宗の人びと』、『国史大辞典』三巻「狩野家」「狩野探幽」「狩野元信」の項》