法華経の談義
法華経の談義
ほけきょうのだんぎ
日像(一二六九-一三四二)によって京都進出をみた日蓮宗門は、京都の有力な商工業者の帰依によって、その教線はのびていった。
京都の商工業者は、応仁・文明の乱など打ち続く戦乱の中にありながら、その経済的実力によって次第に権力者を押しのけ、自治的な「町」を造りあげた。
この町衆といわれる人々にとって、法難を力強く乗り切った日蓮聖人の姿は、まさに神秘的でさえあった。
そして日蓮聖人の説いた法華経の説法に耳を傾けようとする人々が増えた。
日蓮宗の弘通所では盛んに法華経が説かれた。
これを法華経の談義とよんだ。
みずから築いた富の力をもって町の組織を強固にし、これを指導していく役割を負った有力商人たちは、法華経に説く富裕な商人・長者・財宝の譬、そして流通分における現世利益の説話を聴問して、より深い信仰の念を抱いた。
のちに法華一揆という強大な宗教運動の展開も、この法華経の談義が宗教的イデオロギーを固めたからであったろうと考えられる。