檀所派
檀所派
だんしょは
重須談所(重須本門寺)の系譜にある法類をいう。
日興は重須本門寺を中心として教線をはり、談所を開設して門下を育成した。
三位日順の「表白」には「文保二年一一月二四日、重須談所に於て一座論題を致す(略)」とあり、暦応五年(一三四二)の「表白文」には「本門寺学頭日順」と記されている。
重須談所初代の学頭は寂仙房日澄とされる。
日澄は伊予阿闍梨日頂の俗弟で、日向門下にあったが、後に日興についた。
日興は日澄の識見の深さをみて、門下教育にあたらせたものと思われる。
日澄が延慶三年(一三一〇)四九歳で寂した後、一〇数年を経て、三位日順が学頭となった。
ところが日興入寂の後、富士門家は大石寺をめぐって日道と日郷が、本門寺をめぐって日妙と日代が争い、方便品読不読の論争によって、日仙と日代が争うなど対立が起り、重須談所はその役割を喪失し、本門寺所属の一学室にすぎないものとなっていった。
もともと日興在世より、大坊派と檀所派の確執があり、大坊派は自らを正系、檀所派を傍系と見なし、檀所派は学系の正嫡をもって大坊派に対した。
日順は『摧邪立正抄』等、多くの書を著し、檀所派教学を確立すると共に、興門教学の正統性を論じた。