摧邪立正抄
摧邪立正抄
さいじゃりっしょうしょう
『宗全』二巻、『富要』二巻所収。
富士門流新六人の一人三位阿闇梨日順の著。
貞和六年(一三五〇)三月中旬の著述。
一巻。
写本が富士重須本門寺にあり、『宗全』は大石寺所蔵の日心写本によっている。
貞和四年五月、土佐国において像門の日学と富士門流の大弍阿闇梨日寿が問答をした。
日寿はその始末を記して重須の日順に送ったが、日順はその問答を検討して日学の所論を破し、これを著述し、富士門徒後学の指南に資せんとした。
大要は富士正義・像門邪義を八段に分け、日学は迹門は末法当機の法門であり、末法こそ迹化弘通の時であり、大聖人を上行菩薩に非ずとしているとして、公家武家の祈祷についても、神天上の故に無益なこととして日像・日学を難じている。