妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

本化妙宗

ほんげみょうしゅう #3347

本化妙宗

ほんげみょうしゅう

田中智学(一八六一-一九三九)が定めた宗名。
智学は日蓮宗から離脱し、在家仏教運動を起して教団革新運動を展開し「立正安国会」「国柱会」を組織したが、日蓮聖人の宗教は本化の妙宗であって、本化の妙宗とは「宗門の為の宗門に非ずして、天下国家の為の宗門也、即ち日本国家の応さに護持すべき宗旨にして、亦未来に於ける宇内人類の必然同帰すべき、一大事因縁の至宝也」(『宗門之維新』)と述べて、本化妙宗を名のった。
既に明治三〇年(一八九七)に学機関紙を「妙宗」と名づけて発行し、本化の折伏主義の宗風を宣伝し、明治三五年には本化妙宗の宗学組織大成として『本化妙宗式目』(のちの『日蓮主義教学大観』)の執筆を行っている。
智学は日蓮門下各団の摂受的退廃ぶりに憤慨し、戦闘的な日蓮主義を標榜して在家による新たな宗門建立をめざしたのであって、それが本化妙宗であり、その教会が国柱会であった。
智学亡きあと高弟山川智応が「本化妙宗連盟」を名のって国柱会から分れ、その弟子高橋智遍が現在も本化妙宗を称揚している。

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