日饒(興善院)
日饒(興善院)
にちにょう
(一五七三-一六四四)
京都妙顕寺一三世、字は英月、興善院と号す。
草山元政の『龍華歴代師承伝』によれぱ、尾形氏(緒方とすることもある)の出身で、幼少に出家し、一六歳の頃法輪寺において天台学を学ぶ、後に小西檀林の五世の化主となった。
また武州法恩寺において法華玄義を講じたという。更に浄土宗の曇夢と法論をたたかわせたともいわれる。
元和の初年(一六一五)四三歳の時に妙顕寺に晋山し、講義のかたわら仏殿、祖師堂、方丈、庫裡、鐘楼を営修した。
七〇歳を迎えて妙顕寺を退き、隠居して詩を詠じ、正保元年秋、七二歳をもって遷化した。
なお、肥後(熊本県)常光寺二世日収(智雄院)は日饒の法弟にあたるという。
《『日本仏教人名辞典』「日饒」の項》