日道(白蓮房・伯耆房)
日道(白蓮房・伯耆房)
にちどう
(一二八三-一三四一)
伊豆国仁田郡畠郷(静岡県伊豆市)に新田五郎頼綱の次男として生れ、母は南条時光の女、日目の甥に当り、早くより蓮蔵房日目(一二六〇ー一三三三)を師とし、日興に直参、薫陶をうけ白蓮房とも伯耆房ともいわれ、弁阿闍梨・伯耆阿闍梨と称した。
日興の新六の一人。
駿河・伊豆にあって布教に従事したが、日目の命により奥州登米郡(宮城県登米市)の教線を守ることとなり、嘉暦二年(一三二七)には三ノ迫新田の弘通所の導師を命ぜられていたが、正慶二年(一三三三)日興示寂の報をうけて急拠帰来した。
日目は日興の遺命をうけて上洛天奏せんとするに及び、日道を大石寺の留守役とした。
日目は途中病に倒れ、その遺志をついで上奏の大任を果して帰った日郷と、日道は大石寺第四世の法灯を争ったが、大檀那南条氏の外護もあって建武三年(一三三六)日道が大石寺を継承した。
それから数年、暦応四年、五九歳をもって寂した。
その著、日蓮・日興・日目の『三師御伝』は師日興・日目を始め日蓮聖人直参の門下からの聞書であるから信頼のおける伝記で、特に『日蓮聖人御伝土代』は聖人伝としては最古の書としての権威をもっている。
【補記】近時『日蓮聖人御伝土代』は筆跡鑑定から日道説は退けられ六世日時説が出されている。同項の補記参照。《『遺文辞典』歴史篇「日道」の項、『日興門流上代事典』「日道(弁阿闍梨・伯耆阿闍梨」の項》