日調(大運阿闍梨)
日調(大運阿闍梨)
にっちょう
(一四二八-一五〇一)
比企、池上両山八世、大運阿闍梨と号した。
上総(千葉県)伊北に生まれる。
父は狩野氏で法名を朗舜といい、母は下野足利郡の人で法号は幸喜という。
日調は幼にして比企谷常住院日隆を師として得度剃髪。
三五歳の時、両山七世、塵劫院日壽に譲りを受け、池上に住す。
狩野氏は両山三世日山以来、両山・身延に外護をつくしたが、日調が享徳元年(一四五三)に両山にすすんでからは、日調の俗兄である行蓮と共に厚い帰依をよせた。
また同地の豪族山家氏、庄内氏を檀徒にした。
この両氏は血縁関係によるものか、あるいは地域内の親交関係によったものかあるいは両者の関係によるものか、行蓮と共に池上に帰依し、没落した伊北の諸末寺を復興し、比企の御堂を再建した。
時に日調、一時他の地にいるとき山内の建物を焼失したが、行蓮等の庇護によって旧に倍する堂を再再建した。
また日調の学解を慕って雲集する僧は五〇〇、七〇〇に及び、常に隆盛した。
こうして日調は入山以来五〇年に亘って両山を繁栄にみちびき、文亀元年一〇月八日、七四歳をもって寂した。
《『日本仏教人名辞典』「日調」の項》