日祥(通明院)
日祥(通明院)
にっしょう
(一六〇六-七一)
字は慧性、のち梅山と改め、通明院と号す。
鶏冠井檀林開祖。
京都西陣の生まれ、二二、三歳のころ鷹ケ峰檀林に入檀。
ここに修学すること多年、更に南都に遊学して唯識、律を学びこれを究めたという。
そして後、寛永一八年(一六四一)三六歳のとき、鷹ケ峰の請を受けて鷹峰檀林化主となる。
たまたま日像の旧跡、鶏冠井真経寺の荒廃していることを聞き、中興の志を起し、また学室の創設を願い、鷹ケ峰の講務を一心院日廷に譲って真経寺に移り、復興に尽力。
慶安三年(一六五〇)鐘楼を造営して梵鐘を鋳り、更に講堂を建て僧舎を設け、承応三年(一六五四)鶏冠井山北真経寺学校(鶏冠井檀林)として開講。
かくて在講一〇余年、時に紀州感応寺久遠院日述の遷化するや、後住として勧められるに及び、講務を中道院日春に譲って寛文の初め、感応寺第六世として法燈を受け継ぐ。
在住一〇年一日の如く専ら寺門の経営に努めたという。
寛文一一年八月一〇日没、世寿六六歳。
《影山堯雄・関観朗・井上恵宏『諸檀林並親師法縁』、『日本仏教人名辞典』「日祥」の項》