日睿・日叡(薩摩阿闍梨)
日睿・日叡(薩摩阿闍梨)
にちえい
(一三〇九-六九)
薩摩阿闍梨と号す。本門宗日向定善寺開祖。
日向国、日知屋財光寺に生れる。
父は修験道の院主、甲斐法橋隆覚で改衣前は薩摩法印と称した。
元徳の頃、日向の細島で日郷に論伏されたとも、富士門徒の教線の早田道場で道証房に帰伏したともいう。
よって法印は阿弥陀堂を改めて法華堂とし、正慶二年(一三三三)同信一八名と共に富士に到り、薩摩阿闍梨日睿と改め、初め日仙に、次に日道に更に日郷に師事し、日郷の寂後、日伝を補佐したが、のち日向に帰って大いに弘通に努め、日向一円に教線を張り、伊東氏の外護を得て門徒大いに栄え、財光寺を定善寺と改めた。
この法功により、「日向開山」の名で呼ばれている。
六一歳で示寂した。
日睿の著書に、『仙代問答記』『本迹問答十七条』『後信抄』『日睿類聚記』等があるが、特に『仙代問答記』は方便品読不読論で、建武元年(一三三四)、讃岐日仙と重須日代との間の間答を記録したもので有名である。
《『日興門流上代事典』「日睿(薩摩阿闍梨・兵部郷阿闍梨)」の項》