日寿(塵劫院)
日寿(塵劫院)
にちじゅ
(一四二九-五二)
塵劫院と号す。
興栄両山(比企谷妙本寺・池上本門寺)第七世。相模の人で幼名を亀寿麿。
父は長尾小五郎某。母は狩野修理入道叡昌の女でのち落飾して理哲と呼ぶ。
母方の祖父叡昌は両山第五世上行院日叡に帰依した人で、同第八世大運阿闍梨日調もまた叡昌の俗孫である。
日寿は幼にして両山六世延命院日行に投じ、永享六年(一四三四)六月五日、日行寂するに及び、わずか四歳にしてあとを継ぐ。
のち宝徳元年(一四四九)一九歳の時美濃に遊び、天台の学匠三光坊尊源に謁して親しく論じ、三ヵ年ここにいる。
たまたま病にかかり入洛して医に就き、学養寺に寄宿する。
享徳元年四月四日遂に寂し、学養寺に葬る。
寿二三歳。
小町に日寿の教化を受けた横山某という者があって、居を遷して塚上に常寿寺創建。
のちに日調はここで繞仏唱題の妙行を修す。
《『日本仏教人名辞典』「日寿」の項》