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支考

しこう #2306

支考

しこう

(一六六五-一七三一)
寛文五年美濃山県郡(山県市)に生る。
六歳のに父を失い、次姉の婚たる各務(かがみ)に移る。
二六歳で芭蕉の門人となる。
東華・西華・野盤子等の別号を用いて俳諧を修し、広く全にわたって各地の人々に芭蕉の作風を伝えた功績は大きいものがあるとされている。
著述も数多く『俳諧十論』を始めとして『笈日記』や『本朝文鑑』など見るべきものがある。
特に『俳諧十論』では、芭蕉以来の俳諧思想にや儒の経論・諸説を附会し、彼独特の俳諧哲学ともいうべきものを構成している。 ち法華経の「開権顕実」の法門を用いて「実をもって方便の門を開きたる」が如くに、俳諧における虚実の論を進めている。 また「それ経は法華を要(かなめ)として」と述べているように、法華経を諸経中の要であると考え、そこから俳諧本質論のよりどころをえていったのである。 方便品寿量品の文を引いて、俳諧の根本問題を論じている点に注目すべきである。
こうして芭蕉亡きあとの俳壇に美濃派と呼ばれる一派を樹立するに至った。
享保一六年二月七日没。 六七歳。
《上田本昌「俳諧文学に現れた法華経」『度学教学研究』一四巻一号、『史大辞典』一一巻「俳諧七部集」の項》

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