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徳一

とくいつ #2138

徳一

とくいつ

(七四九頃-)
平安初期の法相宗の僧。
藤原仲麻呂の子と伝える。
興福寺で修円に法相宗を学び、次いで東大寺に住したという。
のち関東に移り、常陸筑波山の中禅寺や会津の慧日寺など多数の寺院を創建した。
空海に対し『真言宗未決文』を著して真言教学に関する十一の疑義を提し、また弘仁八年(八一七)東国への布教を志す最澄に対して論争を挑んだ。
すなわち、天台宗を開創した最澄がすべての衆生に等しく仏性があるとする法華一乗の思想を説いたのに対し、徳一は法相の五性各別の立場で三乗論を主張する、三一権実論争が繰り広げられた。
徳一は『仏性抄』『中辺義鏡』『遮異見抄』『慧日羽足』などを著し、最澄もまた『照権実鏡』や『守護国界章』を著して反論した。
慧日寺で没したと伝えられている。
《『遺文辞典』歴史篇「得一・徳一」の項、『岩波仏教辞典』『日本仏教人名辞典』「徳一」の項》

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