小野妙覚
小野妙覚
おのみょうがく
(生没年未詳)
京都室町の富商で、永仁二年(一二九四)日像が上洛弘通した時、柳酒屋仲興らとともに、日像に帰依したと伝える。
一方、この年から八八年後の永和四年(一三七八)二月、妙顕寺を退出した日実・日成を外護した檀越としてもその名がみえる。
即ち京都妙顕寺三世朗源の入寂に伴い、後職を決定する仏前の鬮が永和四年二月に行われた。
しかし三度の鬮はいずれも三〇歳の通源日霽に当たり、日実・日成はそれを不満として妙顕寺を退出した。
小野妙覚は日実・日成を招いて寺を建立したが、寺名は小野氏の名をとって妙覚寺と名づけられた。
のちの妙覚寺門徒の拠点寺院である。
日像に帰依した小野妙覚と日実・日成に帰依した、
小野妙覚は、年代の開きから同名異人であろうが、むしろ名前を世襲した同じ小野氏であろう。
『本化別頭仏祖統紀』によれば、小野妙覚の別荘は日像が初めて京都に弘通した時に休息した遺跡と伝え、いずれにしても小野氏の日蓮宗帰依は日像によるものであろう。