妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

妙蓮寺(京都府京都市)

みょうれんじ #1605

妙蓮寺(京都府京都市)

みょうれんじ

京都市上京区に所在。
卯木山と号す。
二十一箇本山の一つ。
現在本門法華宗の本山。
当寺の創立は永仁三年(一二九五)頃日像の化をうけた五条の酒屋、柳屋仲興が延慶二年(一三〇九)西洞院五条の屋敷に庵を設けたことに始まり、妙法蓮華寺と号した。
のち破却に遭い、応永年中(一三九四-一四二七)に仏性院日慶、日存、日道、日隆らがこの綾小路五条に草庵を創して住していた。
日慶は別に法線を張り、日像の故地に因んで綾小路大宮に柳屋の外護で寺を再興し、柳の字を分けて卯木山と称し、妙法蓮華寺を略して妙蓮寺と号した。
日慶は庭田重有の子、日応(一四三三-一五〇八)を迎え開山とし当寺繁栄の基をつくった。
永享年中(一四二九-四〇)、日隆は日存、日道が妙蓮寺再興のため尽力したことから歴世に加えるよう請うたが、日慶はこれを拒否した。
爾来、日隆およびその門下と義絶するに至ったが、日慶入寂後、日応は文明一五年(一四八三)に、朗源、日霽、日存、日道、日隆、日応という妙蓮寺血脈次第をつくり、列祖に仰ぐことになった。
また日慶は文明五年寺内に道輪寺学室を設け、常住院日忠を学頭に招請し、学の興隆と門下の育にあたらせた。
文五年(一五三六)の法難によって堂塔灰燼に帰し、堺の法華寺に一時退いたが、やがて文一一年帰洛し、大宮西小路に再建した。
正年(一五七三-九一)、豊臣秀吉の命によって現在地に移転する。
享保一五年(一七三〇)本堂、大門を残し、ほとんど焼失、明八年(一七八八)再び大火に類焼し、寛政元年(一七八九)より漸次復興して現在に至る。
なお道輪寺学室は『法華宗年表』によると保二年(一八三一)以前に再建されている。
重宝として日蓮聖人曼荼羅(祈雨の本尊)、『法華證明鈔断片』『衣食御書』『釈迦御所領御書』『覚性房御返』等が蔵されている。
《日潮『本化別頭仏祖統紀』、『日蓮教団全史』上、影山堯雄「京都における日蓮教団寺院」『大崎学報』一一二号、『日蓮辞典』「妙蓮寺」の項、『史大辞典』一三巻「妙蓮寺(京都)」の項

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