妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

妙林

みょうりん #1530

妙林

みょうりん

(-一三七八) 法号を法頂院法林日貞尼という。
富木氏や大田氏と共に、下総(千葉県)における日蓮聖人の有力な檀越となった曽谷教信(一二二四-九一)の息女で、俗名を芝崎といい、後年出家して妙林改名した。
佐倉城主千葉介貞胤の妻。
建治三年(一二七七)に父の信が平賀郷の地蔵堂を祖師堂となし寺を建立したが、芝崎は延慶二年(一三〇九)三月にそれを再興し、父娘二代に亘って長谷山本土寺の礎を築いている。
妙林の建立した曽谷山礼林寺(千葉県市川市)の寺伝によれば、妙林出家の動について次のように記している。
芝崎の夫は佐倉城主千葉介貞胤(一二九一-一三五一)であり、建武の乱の京都で戦死した夫の菩提を弔うために出家したとある。
礼林寺は正応四年(一二九一)二月の創立にかかり、父の信(法号を法蓮院日礼という)を開山とする。
日礼が曽谷山法蓮寺から妙林の庵に移って閑居した砌、堂宇を建立し妙林寺と称したという。
なお、妙林には二人の侍女がいたが、それぞれ出家して妙円、妙哉と名乗り妙林に侍したという。
妙林日貞尼の寂年は永和四年七月二〇日である。
本化別頭仏祖統紀』には、芝崎の夫を千葉大隅守胤貞と記してあり、寺伝との相違がある。
この胤貞は、南朝に仕え、懐良親王(かねながしんのう)に従い、のちに肥前(長崎県)千葉氏の祖となった人であるが、礼林寺の寺伝や平賀本土寺の過去帳・沿革等から推して、貞胤と解するべきであろう。

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