光福寺(千葉県いすみ市)
光福寺(千葉県いすみ市)
こうふくじ
千葉県いすみ市に所在。
栄久山と号す。
もと池上本門寺の末寺。
元亨三年(一三二三)僧契和尚の創建と伝え、両山七世日調を中興開山とする。
初め竹の沢にあったが、文明一二年(一四八〇)現在地に移ったという。
当寺は天正のころに行川の妙泉寺と共に「伊北の両寺」と呼ばれ、豪族狩野氏の帰依をうけ、この地方における比企谷門流の有力な拠点寺院として勢をもっていた。
また、いわゆる「大野法難」の中心寺院の一つとして知られる。
この法難は天正一三年(一五八五)三月末、当地の天台宗寺院東陽寺との間に行われた宗論に端を発し、遂に武器をとって戦うに至った事件であり、光福寺日穏・本顕寺日忍らを含め両者に多数の戦死者を出した。
宗論は光福寺末の本顕寺日忍と東陽寺主との間に行われたとも、光福寺日穏との間に行われたともいわれ、たしかではないが、宗論に破れた東陽寺が僧俗を召集して本顕寺に攻めかかり、火を放って同寺を焼き、更に行川妙泉寺を、次いで大野に進んで光福寺を焼くなどしたため、両宗対立を憂慮した領主里見義頼が調停に乗り出し、この紛争をおさめることができたという。