仙波檀林
仙波檀林
せんばだんりん
鎌倉時代末期から室町時代にかけて隆盛を極めた関東天台の中心をなす学問所。
武蔵国入間郡仙波郷(埼玉県川越市・ふじみ野市)の地に所在した。
星野山無量寿寺と号す。
ことにこの寺内の仏地院(中院)と仏蔵院(北院)の二院が主流をなした。
永享問答で著名な一乗房日出はこの檀林の能化であった(『身延山史』)と伝えられている。
また室町期には日蓮宗の学僧も多くこの檀林に遊学し、身延山一一世の行学院日朝は一九歳より二三歳頃まで「武州仙波仏蔵坊談義所」において天台学を修め、平賀日意と同学であった。
なお同寺は天文年中戦禍に遭って堂宇が烏有と化し、その後復興され、幕府の外護などを得て、仙波の喜多院と呼ばれ盛んになったが、江戸時代における関東天台の中心は東叡山寛永寺へと移行するに至った。
なお喜多院は江戸時代には天台宗における関東八檀林の一つに数えられている。