身延山山林事件
身延山山林事件
みのぶさんさんりんじけん
昭和二二年(一九四七)九月頃から、身延山久遠寺の国有林無断伐採が暴露され、東京財務局係官の実地調査を受けるに及び、国有林盗伐の嫌疑に端を発し、横領、詐欺事件に発展した事件をいう。
昭和二一年九月選挙で当選、管長に就任した身延山法主深見日円は、立候補の目的の一つとして「身延山の豊富の資材を放出して戦災寺院の復興を促進し宗門の興隆を図る」ことを述べている(『改新宗報』第二号)。
同年一〇月頃開かれた山林委員会においても委員増田宣輪は「この際身延山を禿山にしても戦災寺院を救済すべきである」ことを切論している。
しかし従来の山林関係の人員や組織をもってしては、大規模の伐採事業は不可能として身延山当局(法主深見日円総務藤井教仁)は、増田の徒弟小笠原秋水を山林委員会常任委員に委嘱した。
小笠原は当時新円の資力を有し日円の管長選挙費用十数万円を出援し信頼を得ていた。
山林盗伐問題は盗伐でなく、誤伐であるとして東京財務局に補償金を納付することで解決したが、この金策も日円から命じられて小笠原が講じた。
戦争直後の久遠寺は財政逼迫し昭和二一年の年末は小笠原の資力によって辛うじて越年し得たといわれている。
戦災寺院の救済だけでなく、宗務院の改築費、身延山病院建設費、債務の解決費、引揚者、戦災者救済母子寮建設費等多目的な山林伐採事業であった。
小笠原は久遠寺から定額の手当は受けず、出材道路、桟橋、木馬道の開設、人夫に対する前渡金の負担等をなし、後で収入と差引計算の上確実に利益となったものを随時久遠寺経理部に入金するというやり方であったことから、横領や詐欺の嫌疑で起訴されたが、昭和二六年二月一九日甲府地方裁判所において、検察官検事天野三三関与の上、審理を遂げたが入山実裁判官から刑事訴訟法施行法第二条旧刑事訴訟法第三六二条に則り「被告人は無罪」の判決をうけ、身延山山林事件は落着をみた。
(判決記録による)