妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

池上本門寺再建

いけがみほんもんじさいこん #3732

池上本門寺再建

いけがみほんもんじさいこん

本門寺の創建当初にはどれほどのお堂が建てられていたかは不明であるが、池上宗仲公の持仏堂を開堂供養して本門寺と命名されたと伝えられているから、それほどの大きなものとは想像できない。 ただ現在本門寺に安置されている正応元年(一二八八)六月八日蓮華阿闍梨日持、侍従公日浄によって造立された祖師像の大きさからみるとき、ある程の規模の大きさがあったことは想像されうる。
現在までのに幾たびか火災に遭いその都再建されているが、その主なものを挙げると、永正元年(一五〇四)本堂焼失(『本化別頭仏祖統紀』)し、一二代日惺入山の前年天正八年(一五八〇)に本堂が再建される。「去年者池上之御堂成就当年又比企谷之本堂(略)。 慶長一一年(一六〇六)加藤清正母七回忌供養のため祖師堂を建立した。 二五×二三という大規模なお堂であったため「大堂」とよばれ、そのよび名が現在でもよびならわされている。
寛永五年(一六二八)日樹代に本堂と本院焼失し、翌年再建されている。
宝永七年(一七一〇)一〇月三日仏殿祖師堂、客殿、釈迦堂、方丈等焼失、正徳二年(一七一二)日潤代に客殿、庫裡、方丈を再建し、享保八年(一七二三)日等代に祖師堂、享保一五年日顗代に本堂(一一×一〇)を再建。
明治三四年(一九〇一)日亀代客殿庫裡を焼失。
以後客殿、庫裡等復興したが昭和二〇年(一九四五)四月一五日、第二次世界大戦中空襲により祖師堂、釈迦堂、客殿はじめ五六棟二五〇〇坪を全焼、五重塔経蔵、宝塔、総門のみ戦災を免れた。
昭和二三年日量仮祖師堂を再建し日教これを継承して漸次復興を重ね、昭和三九年日定祖師堂を再建する。
昭和四四年日威朗尊六五〇遠忌業として本殿常経殿、朗峰会館を建立、引続いて宗祖七〇〇遠忌記念事業として、昭和五二年仁王門、翌年客殿、五四年に御廟所を建立して旧観に倍する復興がなされた。

← 事典トップ