妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

久遠寺(静岡県富士宮市)

くおんじ #358

久遠寺(静岡県富士宮市)

くおんじ

静岡県富士宮市小泉に所在。
身延山久遠寺と区別して、一般に小泉の久遠寺と呼ぶ。 日蓮宗由緒寺院の一つ。
開山は日郷。 当山の開創についての由来は次のとおりである。
日郷は、大石寺二世日目の寂後、日道と後薫をめぐって争うこと三年、日道が大石寺を継ぎ、日郷は衆とともに一旦房州(妙本寺)に退いた。
日郷が退出した後、建武五年(一三三八)総領職南条綱は「大石寺の東方は綱が所領なる、残る所なく宰相の阿闍梨御房(日郷)に寄進」している。 これは日郷を慰諭しようとしたためであろうか。
彼はまたのちに子息牛王丸を日郷に投じた。 日郷の資、中納言阿闍梨日伝である。
綱の寄進にもかかわらず日道ら大石寺衆徒はこれを認めなかったので日郷は管領することができなかった。
日郷は文和二年(一三五三)四月八日、大石寺東御堂並びに地の管を遺命し、同二八日六一歳をもって遷化した。
弟子達は同四年更に臈次番帳を作ってこれを守ることを約した。
大石寺東御堂の地は綱の私領であって日目の付属とは無関係の所であった。
これらは、日郷の大石寺継承が大檀那の威力によって敗れたため、その全力を私領の大石寺東御堂たる蓮蔵の取得にかけ、ここを手掛りとして大石寺本と争ったものである。
日道は大石寺を継承することわずかに数年、暦応四年(一三四一)五九歳をもって遷化、日行・日がその後を継いだ。
日郷・日道の遷化後も妙本寺門徒と大石寺門徒の争いが続けられたが、ついに応永一三年(一四〇六)妙本寺方は非運となり、同二三年小泉の地に蓮蔵坊を移し、妙本寺惣門徒の本山と定めた。
これが小泉の久遠寺である。
《『日蓮団全史』上、堀日亨『富士日興上人詳伝』、『宗全』二巻、『富要』九巻、『日興門流上代典』「久遠寺(小泉)」の項

← 事典トップ